制送還

目覚めたら、起き上がれなかった。 痛いだけじゃなくて苦しい。起き上がるために必要な、ほんのちょびっと腹筋に力を入れるだけで死にそうなほどむせる。そういえば、兄は入院中仰向けに寝れず、机に顔をつけて(授業中とかにやる居眠り風)寝ていた。それはこういうことだ。痛いし苦しいから寝てはいけなかった…。

起き上がるまでにものすごい時間がかかった。そんなんやったくせに、朝からまたも素で煙草を吸うわたし。起き上がってしまえば何とかなってしまうから、普通に朝ごはん食べて、身支度して、兄に電話をした。午前中はちょっとだけ会社に行くから、昼に迎えに来てくれと伝え(兄は実家の仕事をしているので融通がきくのです)、さすがに地下鉄や徒歩は無理だから路上駐車覚悟で車出勤。パッと見、ちっとも病人っぽくないせいか、マネージャー以外あまり心配してくれない。ほんと切ない職場だ。ともかく、やりっぱなしの仕事をできることはその場で片付け、時間を要するものは隣の席の先輩にデータと共に引き継ぎし、自分のパソコンのパスワードやデータの場所をざっと書き出し、あと見られて困るものは全て抹消した。(笑)

入院生活になれば、夏だというのに風呂も入れず頭も洗えず、しかも兄は機器につながれていたからトイレも行けず、わたしもそんな風になるのかよ!と、呑気にマネージャーと喋った。風呂は我慢できるけど、看護婦さんに下の世話をしてもらうのはプライドが…なんて、そんなこと言える余裕があった。そんなの、全然大したことじゃないっていうのに。つくづくわたしはアホだ。

適当に挨拶し、落ち着いたら連絡しますと言い残し会社を後に。痛みや息苦しさにも慣れてしまって、わたしは本当に病気なのか、ちょっと疑わしく思ったりもしつつ。

家に戻ったら病人生活で必要になるであろうものを準備。ゲームボーイ、ノートパソコン、MDウォークマン、読んでない本。この際動けないんだから、こういう娯楽を思いっきり満喫してやろうという魂胆が見え見えのラインナップ。下着とTシャツと洗面道具も鞄に詰め込み、兄が迎えに来てくれるまでテレビを見つつ、またも一服。

兄が来て、車で実家へ。経験者は語る。兄が入院したのは5年前だった。その日、わたしは東京の友達の家に遊びに行っていて、山の手線で脳貧血を起こしぶっ倒れ、金曜夜の山の手線ダイヤを乱した。新宿から救急車で運ばれたりした。病院から実家に電話をかけたらなぜかおばさんが出て、お父さんは出張で留守、お母さんは緊急入院した兄に付き添って病院、ボケたおばあちゃんを見るためにおばさんがいるとのこと。びっくりした。わたしは大したことなかったから、そのままもう一晩だけ友達の家に泊まらせてもらい、翌日新幹線で実家に帰った。実家に帰ったその足で兄の病院へ行き、わたしの脳の検査を受けさせられた。(問題なしだったけど)

兄のパジャマの裾から管が出ていて、ベッド横の機械に繋がれていた。その管には血が流れていて、ものすごい病気に思えた。兄の肺はなかなか膨らまず、20日くらい入院していた。もう3日ほど肺が膨らまなかったら手術になっていた。でも、よく考えたら兄はドレーンだけで手術はしなかったし、あれ以来再発していないから、わたしの方がひどいことになる…。まぁ、それは良いとして。胸も痛いが腰やら背中も痛くなるとか、煙草は絶対やめろとか、管を通す時叫びたくなるくらい痛いとか、下手くそな先生にあたると痛みも倍増だとか、色々聞いた。でも、兄の「長い人生のうちの2週間やそこらだ。がんばれ」という言葉が胸に響いた。


よっしゃ、がんばるぞー!


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