せないナースコール

何とかパジャマに着替えたところで、あの無愛想で不躾で怖い怖い担当医がやって来た。それもかなり横柄な態度で若い看護士を2人引き連れて。


「どうですか?」

「どーもこーも、痛くて起き上がれません」

「うーん…。どうしてそんなに痛いんだろ…」

「ギックリ腰みたいに背中がピキーンってなる」

「たぶん…、迷走神経反射かなぁ。痛み止め、点滴に入れておきます。ちょっと頭がボーっとするけど、そのくらいの方が良いでしょ?寝られるし」


一言二言で看護士に指示を出し、看護士さんはわたしの左腕に繋がれていた点滴に何かの液を混ぜた。数分で利きますからねーとか笑顔でにっこり。先生は何か話があるとかでお母さんを連れて退室。ボーっと天井を見ていたら本当に薬が効いてきて頭がボーっとしてきた。それでそのまま眠ってしまい、次に起きたらもう夜だった。

ベッド横のサイドテーブルには「よく眠っているようなので帰ります。また明日来ます」と、お母さんからの置き手紙があった。何時くらいだろうと思って手を伸ばせる範囲内で時計を探してみたけれど見つからず、そういえば腕時計はX線の時に外して鞄に入れたままだったことを思い出し、起き上がって鞄を探そうと思ったら……。


やっぱり起き上がれなかった。


腹筋に力を入れるとそれに伴って背中に痛みが走る。 何度か試みてみたものの、どうしても無理。脂汗まで出てきたから、起き上がるのは諦めておとなしく寝ていることにした。


よく考えてみれば、朝食を家で食べて以来何も食べていないし飲んでもいない。今が何時かわからないけど、病室の電気は消えているから消灯時間の21時は間違いなく過ぎている。倒れたのがたぶん昼前で、いったん病室で目が覚めてあれこれやって、また寝ちゃって。で、今は夜。

食べていないとか飲んでいないことよりも、もっと重要なことがあった。わたし、X線撮る前にトイレに行ってから一度も用をたしていない!!!!!いや、食べていないし飲んでいないから、そんなに尿意も感じていなかったけども!!!でも、もう10時間近くトイレに行っていない。そう気付くと行きたくなるのが人間の哀しい性。じわじわと尿意が襲って来て、でもわたし、起き上がれませーん!OH!!NO!!!!!


それまでの人生で、こんなにも苦しみ葛藤したことは初めてかもしれない。そのくらいわたしは追いつめられていた。漏れそう!もうトイレが!!!便器が恋しい!!!!でも痛くて起き上がれない。でもこのままだと漏らしちゃう!!!ああ、神様仏様。何度も何度も考えてみた。ナースコールはこういう時のためにあるんじゃないのか、と。でもナースコールを押したら、まず間違いなく尿瓶を用意されて看護士さんにパンツおろされてベッドの上で…ってことになる。そんなの、そんなのって、そんなのって…。やっぱりできない。何とか自力でトイレに行かねばッ!ベッド横の柵に手をかけて、息を止めて力を入れる。痛いのは一瞬だからその一瞬でエイって起き上がってしまえば何とか…、何とか…。

そんなことを数えきれないほど繰り返し、その間にも膀胱は破裂しそうな勢いで、それでもまだナースコールは押せない。喘息だという向かいのベッドのお婆さんのいびきの合間に咳き込む苦しそうな声とか、隣のおばさんの寝返りを打つたびに軋むベッドの音とか、何かもうわたしってば一体ここで何しているんだろ、何でこんなことになっているんだろう、そういう気持ちでいっぱいだった。そんなこんなでヤケクソで今一度気合いを入れてみたら、その勢いで起き上がれた。死ぬほど痛かったけどそんなことよりも今はトイレ!!!!点滴引きずってトイレに行って用を足し、ベッド横の小さな明かりを付けて時計を探して時間を確認し(午前1時過ぎだった)、起き上がっている方が痛みが少ないことに気付いたから、もう横になるのはやめて座っていることにした。


そしてわたしは朝までベッドに座っていた。

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