を抜いてくれ

先生がドレーンのスイッチを入れた。看護士さんがカーテンの外からお母さんを呼び寄せてパジャマを受け取り、管が邪魔にならないように上手に着替えさせてくれた。パジャマに着替えたのを確認すると、先生がカーテンを開けて、ドレーンを邪魔にならない場所に置いて、お母さんとわたしに説明を始めた。なんかよくわからないけど3段階あって、スイッチを入れる、スイッチを切る、クランプ(管を抜いた時と同じ状態にする)を得て、完全に肺が膨むまではずっと管は入れっぱなし。是即ち「風呂には入れません」ってこと。わかっていたけどね。

一通りの説明が終わった頃、ドレーンのスイッチを入れてだいたい10分くらい。この時からちょっと背中が痛い、気が、していた、と思う。たぶん…。

お母さんと少し話して、お盆で帰省していたお兄ちゃんが見舞いに来て、「俺の時より器械が小さいなー」とかそんなことを喋って、お兄ちゃんとお母さんが「ちょっとおじさんの病棟行ってくるわ」とわたしを残して出て行ってしまって。(同じ病院の違う病棟におじさんが入院していたから)

まだテレビカードを買っていないからテレビも見れず、ひとりベッドの上でボーっとしていたら、いつぞや経験したあの背中の痛みが、ギックリ腰以上に痛いあのピキーンとしたあの痛みが、あ、痛いかもと気付いたらもう加速度を増して襲いかかってきた。しかも前の時以上!!!


気付けば、微動だにできない状態に固まってしまった。ナースコールを押すにも押せないそんな状態。


痛さのあまり脂汗が出てきたところでお母さんだけ戻って来た。で、変な格好で固まっているわたしを見てちょっとびっくりしていたけど、痛いと訴えたらナースコールを押してくれて、看護士が来る頃にはわたしは痛さのあまりボロボロ涙を流していた。


言葉で表現できないくらいの痛み、わたしの人生で「いちばん痛い」のがこの時だったと断言できる。小学生の頃ワゴン車に跳ねられた時よりも、階段でこけて前歯が折れて血まみれになった時よりも、校庭のアスレチックから落ちて頭から血を流した時よりも、胃潰瘍のピークだった時よりも、比べようもないくらい痛い。「もう肺なんてどーでも良いからコレ抜いて…」「もう抜いてようぅぅぅ」と呪文のように繰り返し呟いて。

ちょっと年増で怖そうな看護士さんが座薬の痛み止めを持ってきてくれたけど、座薬を入れる体勢にすらなれず(だって微動だに出来ない状態なんだから)、今度は先生を連れてきて、先生は痛みでおかしくなっているわたしを見て、ひとまずドレーンのスイッチを切り、右肩に痛み止めの注射をブスっと刺した。

この注射がモルヒネで、だんだん頭がボーっとして、思考が鈍くなって、痛いんだか何だかわからない状態になった。わからない状態だから時間の感覚もまるでなくて、あまり覚えていないけど、頭がボーっとしてきたところで先生がドレーンのスイッチを再び入れて、スイッチ入れる間はモルヒネで痛みを誤魔化しましょうということになった。でもあまりたくさん打てないから、飲み薬も併用してということで、ロキソニンを処方された。

それから、モルヒネのせいで記憶が曖昧だけど、食欲もまるでなかったから栄養剤点滴をされて、やっぱり横になれないから座ったままで、何が何だかわからないまま時間だけが過ぎていった。ほんと覚えていない。どうやらおじさんのお見舞いに来ていたおばさんが、帰る前にちょっと様子を見に来てくれたらしいけど、わたしは何だか目の焦点が合っていなくて、何か言っても無反応だったらしい。それってちょっと怖いよね。モルヒネって、ほんと究極の痛み止めって感じだ。痛いと感じる神経を麻痺させるということは、思考回路すら麻痺するってことなのね…。まぁ何にせよこのモルヒネがなければたぶん無理矢理でも管を引っこ抜いていただろうし…。うん。



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